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陀羅尼助丸物語

陀羅尼助の歴史は今からさかのぼること1300年

 

『陀羅尼助』は、昔から奈良県吉野・大峰山系に広く伝わる胃腸薬です。その歴史は古く、現在よりさかのぼること1300年ほど前のお話になります。

 大峰山・山伏修験道の開祖、役の行者(役ノ小角)が大峰山開山のみぎり、山中に生え茂るキハダの皮を煮てそのエキスを用いたところ、胃腸の病をはじめ色々な内臓、外傷にも薬効のあることを知りました。7世紀末に疫病が大流行した時には、大和国葛城(現在の御所市)にある境内にて、大釜を据えキハダを煎じ病人に与え多くの人々を救済したと伝えられています。

その際、キハダの皮を煮詰めながら「薬を飲む人が救われるように」と念を込めて、自身の念持仏である孔雀明王陀羅尼経を唱えていたのが『陀羅尼助』の名の由来と言われています。

 

 

なんにでも効くはらいたの妙薬

 

山伏とは、山岳が持つ自然の霊力を身に付けることを目的とし、山中で修行する修験道の行者で「修験者(しゅげんじゃ)」とも言います。山伏は密教との関わりが深く、密教で重視 される経文が陀羅尼経です。これが梵語(サンスクリット語)のdarani(ダーラニー)の音に漢字をあてたもので「善方をよく持して散失せず、悪法をさえぎる力」と訳されています。

梵語で書かれた長い経文を声に出して読むと、様々な障害が取り除かれ種々の功徳を受けるといわれており、病気の時など唱えることでたちまち快癒すると いわれています。そういった「陀羅尼」の経文と「救いたい、助けたい」という思いが重なって『陀羅尼助』という名につながったのではないでしょうか。奈良県吉野地方で『陀羅尼助』は “なんにでも効く はらいたの妙薬” として重宝され、いまも常備薬として用いられています。

 

『陀羅尼助』の原料であるキハダは、ミカン科の落葉性高木で樹皮が黄色いため「黄肌(きはだ)」の意味です。この樹皮を剥いで乾燥したものを生薬名で「オウバク」と言い ます。「オウバク」は苦味健胃薬と言われており、口に含むととても苦味があります。この苦味が胃腸などの消化器官を刺激し、消化液の分泌作用を促進しま す。その苦味も山伏たちに利用されていたようで、お堂にこもってひたすら「陀羅尼」を唱え続ける「陀羅尼行(だらにぎょう)」という修行があるのですが、その修行があまりに長く、 ついつい睡魔が襲ってくるので眠気覚ましにキハダの皮を口に含んでいたようです。

ひょっとしたら眠気覚ましに利用したのが『陀羅尼助』の始まりかもしれま せんね、「陀羅尼(だらに)」を「助」けるので『陀羅尼助』という意味も含まれているようです。

 

 

だらすけは 腹よりはまず 顔にきき

 

という川柳があります。これは天保時代(江戸後期)に読まれた句なのですが、『陀羅尼助』の持つ苦みで顔 が歪む様子をおもしろおかしく上手に詠んでいます。『陀羅尼助』は修験道・信仰の広がりとともに山伏たちによって日本各地に広がっていったと言われてお り、長野県は御嶽山の「百草」、鳥取県は大山の「煉熊(ねりぐま)」、愛媛県は石鎚山の「陀羅尼薬」は、名前こそ違いますが『陀羅尼助』と同じキハダを主とした薬です。ま た、大峰山に参拝に訪れた人たちが『陀羅尼助』を土産に買い求め、持ち帰ったことも『陀羅尼助』が日本各地に広がっていく力になったようです。

江戸時代、 川柳といえば町民・庶民たちの娯楽でもあり文化でした。そこに句として詠まれているということは、『陀羅尼助』がいかに当時から人々のあいだで親しまれていたかがうかがえるのではないでしょうか。そしてこの頃から近年にかけ、家庭の常備薬としてさらなる広がりをみせていきました。

 

 

奈良吉野山の陀羅尼助 フジイ陀羅尼助丸

 

こうして役の行者の強き思いとともに誕生し、先人たちによって広く家庭薬として伝えられてきた『陀羅尼助』、かつてはこの吉野山でも自家製の『陀羅尼助』を販売する店も多かったと言われていますが、現在では「藤井利三郎薬房」ただ一軒となりました。当薬房は今から300年ほど前の江戸時代後期より役の行者の製法秘法を拝承し『陀羅尼助』を製造販売致しております。そして現在では、オウバクエキスにセ ンブリ・ゲンチアナ・延命草・ゲンノショウコを加え、より一層の整腸・健胃作用を強化、そして形状を飲みやすく小さな丸剤にした『フジイ陀羅尼助丸』の製 造販売も致しております。もちろん他社の製品と違い、化学薬品、防腐剤は一切含んでおりません。これからも先人たちの教え、昔ながらの技法と伝統を守りな がら家伝薬として、全国各地の皆様の健康に役立つよう、そして後世にこの知恵を伝えていけるよう努めて参りたいと思います。